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運命の出会い

クリスマスの贈物

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クリスマスの贈物



人間と言うのは実に厄介な生き物なのだ。神様がいた楽園から追い出された、その結果、人類繁栄という名の下で増えていった。増えると、それ自体が嬉しいものだ。赤ちゃんが1人でも生まれると嬉しいように、それ自体が喜びだった。感謝もしていた。それからというものは次々と人々が増えていった。その分、喜びも増えた。だが増えると嬉しいだけでは済まない。喜びが増えるだけ悲しみも同時に増える。人が増えるだけで食料も増す。だから益々、その為に汗を流して働き続けないといけなくなった。その為に些細のことで争いになった。最初は何と解決をしていた。しかし次第に解決が難しくなった。
 
ところが楽園にいた頃は皆で楽しく暮らしていた。人の選り好みもなかった。だから争いと言うものがなかった。人が増えても楽園には神様がいたから誰もが等しかった。複雑な身分制度もなく差別もなかった。その分、争いもなかった。感謝することもなかった。それは1人ひとりに平等に扱ったからだ。それで不満もなかった。
 
人類はと言うよりも、人間という者は、感謝する才能に甚だしく欠けているものである。人から何かを送られても、自分の嗜好に合わなかったり、趣味に合わなかったりすると、喜ぶことよりも文句が出る。感謝の心を忘れる。相手が贈ってくれた心を、心から感謝することがなかなか出来ない。同様に日々に起きる事柄や出来事に容易に感謝出来ない生き物なのだ。それらの出来事は、それ自体、言ってみれば神様からのプレゼントなのだと言うことだ。
 
コントロール出来ない自然。夏の暑さも冬の寒さも、台風も大雨も大風も神様からのプレゼントなのだと言うことも。米や野菜の収穫も、魚の収穫だって今でもコントロールできないでいる。全てが神様からのプレゼントなのだと言うことを。いや、そればかりではない。喜びも苦しみも悲しみも、健康も病気も平和も繁栄も、全てが神からのプレゼントなのだ。生まれる前から障害を持ってくる人もいる。理由は分からない。でも神は愛のある方だと誰も思っているし、心の片隅では信じている。神様は愛なる御方だから、私達人間のために最も良い物を選んで送って下さっている筈なのだ。だが人間にはとうてい理解出来ない事も多い。

その良い物である筈の贈り物に、私達の心はなかなか感謝が出来ない。それは当り前と言う気持ちがそうさせる。
 
あと1週間もするとクリスマスだ。物よりも最も大切な贈り物を神様にするのがクリスマスなのだ。そりがクリスマスの精神なのだ。だから真心がこもったものを贈りたいものだ。
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